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103: 修羅場まとめ速報 21/07/18(日)13:02:45 ID:1S.md.L1
私が小学校5年の時、母親がうつ病になった。原因は病弱だった私の看病疲れ。元気になったのでポッキリ心が折れてしまったらしい。
で、風呂場で手首切ったり、腹切ろうとしたり、薬大量に飲んだりと大変だった。
普段も料理や家事ができなくなって、一日中暗い部屋の中で膝を抱えていた。
久々に作った焼きそばを自分の分、うっかり床にぶちまけてしまった母が、埃だらけの焼きそばを泣きながらかき集めて「私のは食べられるから!」って言ってたのが本当に辛かった。





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そんな母を見ていたら、なかなか学校には通えなくなっていた。中学から薬の副作用で夜9時になると奇声を上げて家を飛び出すから、そんな母を日中一人で放っておくことが怖く、ほぼ不登校。

父は母のことが大好きで、いつも病院に付き添ったり、薬を飲みすぎないよう管理したり、弁当を買って帰ってきてくれたけど、母を入院させなかった。
「自分が面倒を見る」と入院を勧める主治医に言ってたけど、結局、日中は仕事なんだから私が見るほかない。放っておくと食事も水分も摂らず、空調もつけず、刃物を探し始めたりするのだから。寝込んでいる母は当然、父も「学校に行け」とは言わなかった。
母はその後、少しは安定したけど、今度は精神的に不安定になって激情することが増え、父に対して「あれやこれが我慢できん!」「離婚しないとご先祖さまに祟られる」と離婚。
娘であり友達であり恋人であり母親、を私に求め始め、執着するようになった。私も死なれると怖いし、発狂して物投げられても嫌だから笑顔で従っていた。というか、それしかなかった。
その後は離婚再婚引っ越しが繰り返され、経済的にも家庭環境的にも私は高校に行かず、私は私の子供時代を知っている人と年の差婚した。

最近、ヤングケアラーという言葉を知った。
私もあの当時、周りの大人に助けてほしいと思って声をかけても「辛いね。でもあなたはしっかりしてるからお母さんも安心だね」と言われるばかり。母に「母親なんだからしっかりしなきゃ」と言ってくれる人もいたけど、病気の母にはまともな判断能力はない。
不思議なことに夫以外、ほとんどの人が「お母さんと仲のいい娘」として私たちを認識していた。年頃の娘が四六時中母親のそばをついて回ることを「なんか訳あり」とは思わなかったようだ。
行政も「病気の母親から親権を父親に移すしかできない」といった感じで、私が一緒に暮らさなくなった後の母のケアは当然ながら難しい。親戚も母とは疎遠を貫いていて「私だけが母を守るしかない」と思っていた。
あの頃、ヤングケアラーに対する理解があったら、というよりも、父がもし母を入院させていたら、私も学業に戻り、母も今より病状が安定していたのかもと思う。今ほどひどくはなかっただろう。
父の神経が、いまだによくわからない。

引用元: ・その神経がわからん!その67




1001: 以下、おすすめ記事をお送りします: 2021年07月21日 20:18 ID:shurabamatome

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